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Vol.17 スペシャル企画『東京競馬場で競馬をやる』

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月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。今回はスペシャル企画として5/6(土)に東京競馬場で競馬を楽しんできました。東京競馬場メモリアル60スタンド6階にある「ホテル オークラ」でビールを飲んで、東京7レースから勝負スタートです! 東京7レース(3歳1勝クラス/1,400m) 天候:晴 芝:良 買い目:3連複 7−1,5,16−5,12,13,14,15,16 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 新潟8レース(4歳以上1勝クラス/1,800m) 天候:曇 芝:稍重 買い目:3連複  1−5−6、2-5-6,9、3-5-8、3-6-9、6-8-9     馬連  1−2,3,5,6,8,9 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 東京8レース(4歳以上1勝クラス/1,300m) 天候:晴 ダート:良 買い目:3連複 13−3,4,11−2,7,10,14 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 京都9レース(鴨川特別/2,000m) 天候:曇 芝:良 買い目:3連複  3−4−5、4−5−9、4−6,9−10     馬連  10−3,4,5,9 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 東京9レース(秩父特別/2,000m) 天候:晴 芝:良 買い目:3連複 1−4−5,6,8、1−5−6 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 京都10レース(平城京ステークス/1,800m) 天候:曇 ダート:良 買い目:3連複 12−2,11,15−4,7,9,14 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 東京10レース(立夏ステークス/1,600m) 天候:晴 ダート:良 買い目:3連複 8−1,12,16−3,4,11,12,13,16 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 新潟11レース(越後ステークス/1,200m) 天候:雨 ダート:稍重 買い目:3連複 2-3-1,4,6、3-4-7 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) 東京12レース(4歳以上2勝クラス/1,400m) 天候:晴 芝:良 買い目:3連複 9−3,7−1,5,7,8,10 ▶︎ レース結果 (JRA ホームページ ) ...

Vol.16 酒

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月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。 今回は横浜中華街にある広東料理のお店「獅門酒楼」にて『酒』について語ってもらいました! いつから酒を飲み始めた?  (笑) まぁハタチからってことにしとこうか(笑)。本当はちょっと前だけど(笑)。  最初に飲んだ時は「うまい!」とは思わなかったね。「まぁこんなもんか」って感じで、学生時代だから、うまいまずいじゃなくて勢いで飲んでるようなもんだった。酒の味がホントに分かるようになったのは何年か後だったね。  暑い時のビールなんかは最初の2、3杯は「美味いなぁ」と思ってたけど、スピリッツ系の酒は若い時は美味いっていうよりも、ちょっと粋がって飲んでた。だんだんその酒が美味くなってくるって感じで、はじめのうちは水割りでウィスキーなんか飲んでても、酒の味がわかってくると「ロックで飲みたいな」ってなっていったかな。  ホントに色んな酒飲んだけど、一番飲んでないのはカクテルだね。まぁそういう洒落た店で飲んでこなかったってのもあるんだけど(笑)。  量で一番飲んでるのは圧倒的にビール。それから若い時は結構日本酒も飲んだ。やっぱり時代的にも、その辺の飲み屋で軽く一杯やるか、なんて話になるとどうしてもビールの後は日本酒になったね。昔は洋酒系が少なかったから。それから焼酎はブームになってから飲むようになった。イモ焼酎なんかははじめのうちは匂いが気になって飲まなかったけど、匂いがそれほどキツくないのも出てきて飲むようになった。昔の薩摩のイモ焼酎はかなり強烈な匂いがしたからね。  酒ってのはその土地土地の文化だからね。九州へ行けばやっぱり焼酎飲む人が多いし。俺が焼酎を初めて飲んだのは何十年前か博多に行った時にね、(当時の)博多市長と飲む機会があって、そん時に(焼酎と水の)割り方を6:4とか7:3とか聞かれて、最初何言ってるかわからなかったのを覚えてる。それくらい馴染みのない酒だった。その時に九州で酒といえば焼酎なんだ、と思った。 アサヒスーパードライ  『すきま風*』がヒットして、(CBS)ソニーの小澤(元)社長*に招待されて、神楽坂の料亭で酒をゴチになった時に、初めてスーパードライというビールを飲んで、衝撃を受けた。「いや〜こんなに美味いビールがあるんだ!」って思ったも...

Vol.15 サブスクリプションと専業作家の今後(後編)

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  月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。第15回は、前回に続いて『サブスクリプションと専業作家の今後(後編)』です! 前編はこちらをご覧ください▼ Vol.14 サブスクリプションと専業作家の今後(前編)  誤解のないように言っとくけど、消費者が悪い訳じゃないからね。人が悪いんじゃなくて、専業作家にとって良い方向にいかないシステムが出てきたからっていうだけだから。要するにサブスクっていうサービスが消費者にとっては便利なんだけど、その便利さが作り手を圧迫していってる状況。消費者にばっかり向いてて、作り手側の方に目が向かなくなっていくと、やがて音楽そのものが枯渇していくってことはありうる。作り手側と利用者側のバランスが取れてれば良いんだけど…。 音楽作家の未来  これはこの人にしか書けないっていう個性とか、ずば抜けた技量とセンスを持っている作詞家や作曲家にはさ、そのうちに昔の王侯貴族みたいなすげー金持ちがでてきて、報酬はいくらでも払うから「俺のためだけに書いてくれ!」っていう時代になりかねない。  時代的にも格差は広がってるから、大金持ちはサブスクで巷に溢れている曲じゃ満足しなくなって、俺の誕生日パーティーのための曲を1000万で書いてくれ!みたいなね(笑)。そういう人たちが出てくるかも。  絵だって同じで、世の中に売ろうとしなくて良いと。俺のためだけに描いてくれ、俺が全部買い取るからって。昔のヨーロッパみたいにパトロンのためだけに創作をするっていうスタイルに逆戻りする。  俺もあっちこっちの会社や自治体の歌を書いたけどさ、印税はほとんど産まないけど、請負い仕事でしっかりもらうっていう。逆にそういう方が稼げるかもしれない。  そうなるとさ、一般の人たちに向けた歌は差別用語はダメとか縛りがあるけど、世の中にリリースする訳じゃないから、どんな表現だって(依頼者が)「問題ない!俺はこういうのが好きなんだから!」って言えば良いんだから。  例えば一節太郎さんの「浪曲子守唄*」の歌詞で「土方渡世」とか「めしたき女」ってあるんだけど、今だったら絶対言っちゃいけない、差別用語だ、と言われる言葉なわけだよ。でも(依頼者は)OK!OK!と。プライベートで歌われるだけなんだから、教育上良くないとかなんて...

Vol.14 サブスクリプションと専業作家の今後(前編)

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  月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。今回は第1回でもお世話になった荻窪にある行きつけの飲み屋さん「寄港地」にて『サブスクリプションと専業作家の今後』について語ってもらいました! 前後編に分けてお送りします。 サブスクリプション  音楽を楽しむってのは音楽を聴いたり、歌ったりってのはもちろんなんだけど、コレクションするっていうのもあると思うんだよね。日本人特有のコレクション趣味的な感覚で"物"が欲しい、というのがあるからなのか、日本はちょっと前まで割合いパッケージが売れてた。でも、だんだんそれも無くなってきて、ただ聴くだけだったらパッケージはいらないと。  安価な月額制で好きなだけ好きな曲を聴けるスタイルになってきてるんで、そうなると作家の印税は厳しくなっていくよね。というのはサブスクってのはサービスを提供する会社がJASRACに支払うのはグロスで年間いくらってやり方だから。つまり曲が増えれば増えるほど分母だけが大きくなっていって、1曲あたりの単価は下がるわけ。だから、こういう方式でずっとやっていったら、まず作家は痩せてくだろうなってのはあるよね。  消費者にとっては良い時代になったのは間違いない。所有物ではなくなるけど、聴くだけなら毎月1000円もしないで、何百万曲も聴けるっていうね。昔なんかは小遣いためてLPとかCD1枚買って、っていう時代だったんだから。  今はお金をあんまりかけずに自由に好きな歌を聴けるんだから昔に比べると音楽は身近になってるし、享受している人の数は(昔に比べて)遥かに多い。ただ、みんなが楽しんでくれるのは良いことだけど、皮肉なことにっていうか、作家は苦しくなっていく。このねじれというか矛盾を解決するには、やっぱり使用料のグロスをもっと増やすしかない。これを交渉するのが日本ではJASRACとかNexTone*。毎年、単価が上がるように交渉してるんだけどね。  実際にJASRACの配信の徴収額*は上がってる。一番落っこってるのは録音物ね、CDとか。演奏権は横ばい。だから全体的に右肩上がりなんだよ。ただ、分配する一人ひとりに対する金額は作っている作品傾向次第というところかな。  それかカラオケみたいに誰がどの曲を何回利用したかが数値化できれば良いんだ...

Vol.13 果たせなかった夢

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  月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。今回はホテルグランドアーク半蔵門の4Fにあるラウンジ「ラメール」にて『果たせなかった夢』について語ってもらいました! 学生時代の夢  学生時代は山登りばっかりやってたから、登山仲間と将来的にはエベレストに登るか、それともランドクルーザーみたいな車を買って、それでアジアから陸路を通ってアフリカのキリマンジャロを登りに行くかと、というのが学生時代というか若い時の夢だった。  ただまぁ、結局は夢は夢で終わったけどね(笑)。  というのは、卒業したら早く100万ずつ貯めて、4人で400万くらいの資金を作って海外へ山登りに行こうか!なんてことを言ってたけど、やっぱり仲間4人がバラバラにサラリーマンになって、なかなかね、100万貯めるってのは現実では難しかったねぇ。当時2万いくらの給料だからね。まぁ俺は兄貴の所に居候*してたから比較的楽に貯まったんだけど。ただ、みんなと足並みはなかなか揃わないからね。夢は夢で終わっちまったねぇ、と。  だからその反動というか、70歳過ぎた時にね、まぁエベレストは及びもつかないけど、少なくとも富士山よりも高い山に登りたいな、と思って、ボルネオ島にあるキナバル山*(4,095 m)に登ったんだけどね。  それとか、キリマンジャロなら(今の年齢でも)チャンスはあるかもしれないけど、エベレストはとても無理だね。  エベレスト登頂は登山家の夢だから。それでも学生時代に登った山の中でも、厳冬期の南アルプス全山縦走なんかは何日もかかって結構キツかったけど、何とかやり遂げたからね。今、NHKのBSで日本海から太平洋まで3大アルプスを縦断する大会みたいなことをやってる番組があるんだけど、あれ見てると俺らも登った山ばっかりだから、感慨深いものがあるよ。  今になってみると何であんなに山好きだったんだか訳わかんないんだけどね(笑)。勢いだったのかなぁ(笑)。まぁそりゃ山小屋で学生時代にアルバイトをしてた事もあるし、長野県の生まれだからね、中学2年の時に学校行事として八ヶ岳登山ってのがあって、2,800mちょっとある赤岳に登るんだから。山が身近だったってのが大きいかな。  都会の子供たちにはなかなか難しいだろうけど、やっぱり長野県の子供...