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Vol.07 師匠 遠藤実(後編)

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月に一回、いではくが飲み屋さんへ行って軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする 「酒と話」。第7回は、前回に続き『師匠 遠藤実』の後編をお楽しみください! 29歳の時に遠藤実(作曲家)の秘書となって以来、氏が2008年に亡くなるまでの37年間、秘書として、作詞家として付き合ってきた いではく。昭和を代表する作曲家との思い出などを語ってもらいました。 作曲家・遠藤実  遠藤先生はやっぱり"天才"としか言いようがない。決して他の人が書いたようなメロディーを書かないし、必ず歌のどこかに自分独自のフレーズを入れ込んでくる。なんというか、常に目新しさを本人も意識していたんだろうね。だからメロディーに変拍子を多く使っているということもあるけど、やっぱりそういう所にも自分の特徴を出そうという意識もあったのかもしれない。  だから、なんつーかな、詞にも新しいものを求めてた。俺に対しても「人が今まで使ったようなフレーズで歌を書いてくるな」と、常に新しい感覚の歌を求めてたからねぇ。  遠藤先生とは作曲家、作詞家のコンビでずいぶん一緒に作品を作ってきたけど、そういう新しい感覚だったり、表現だったりを自分の中に意識するように仕込んでくれた。そういう面ではありがたかったという風に思うよね。  中澤卓也さんの「彼岸花の咲く頃 * 」の歌詞で、赤い彼岸花を線香花火に見立てたんだけど、これなんかはまさに新しい発想だったり表現を、というのが常に意識にあるからこそ出てきたんで、やっぱり先生の教えが今でも生きているんだなぁと感じるよね。 だし巻き玉子 ¥110  先生が亡くなるまで本当にずっと一緒に仕事をしてきた。晩年は、コンビで歌を作ることは少なくなっていたけど、(遠藤実歌謡音楽振興)財団でやる仕事も手伝ってたんで、生涯ビッタリ付き合っていたね。マネージメントの仕事を離れても、さっき言ったみたいに歌や財団の仕事はあったから、先生と知り合って亡くなるまでの37年間、ずっと一緒だった。  そういったお付き合いをしてきた中でやっぱり思うことは、先生は本当に死ぬまで歌っていうものを追求していた。で、そういうのを目の当たりにしてきて、やっぱり「すごい