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Vol.06 師匠 遠藤実(前編)

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  月に一回、いではくが飲み屋さんで軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする 「酒と話」。第6回は、いま何かと話題の「スシロー」(荻窪店)で『師匠 遠藤実』について聞きました! 29歳の時に遠藤実*(作曲家)の秘書となって以来、氏が2008年に亡くなるまでの37 年間、秘書として、作詞家として付き合ってきた いではく。昭和を代表する作曲家との思い出などを語ってもらいました。 秘書として  遠藤先生んとこに秘書役で入って、作詞家としてヒット曲が出てからは、作詞の仕事半分、マネージメントの仕事半分って感じの比率でずーっと一緒にやってきた。  歌の仕事はもちろんだけど、先生は話もうまかったから講演の仕事もすごく多かっ た。一番多い時で年間36回くらい地方へ講演しに行ったからね。もちろん俺も秘書だから一緒に行くわけ。で、講演が終わるとそこに泊まるから、夜になると主催者が宴会をやってもてなしてくれるの。すると酒が出てくるんだけど、先生は下戸だから、全部俺が(すすめられた酒を)飲むわけ。だからあの当時はホントに酒を飲んだ。というか飲まされた(笑)  それから、ふるさと創生*ってのが昔あって、国から配られたお金で歌(ご当地ソング)を作るところも結構あったりして、いろんな市区町村に行くことも多かったね。  そんなこともあって、おかげさまで日本全国行ってない県は一つもない。そういう面では各県の特色というのもよく分かったし、当然、その土地の美味しいものや酒を味わせてもらったよね。だから、先生の秘書をやってたおかげで人があんまり経験してないようなことを経験させてもらったし、よかったなぁと思ってる。 たこの唐揚げ ¥308 秘書を辞めたのはいつ?  俺は50歳になったら辞めて作詞活動一本にしようかな、と思ってたんだけど、その前に遠藤先生の奥さんが亡くなってしまった。そのことがきっかけで先生の将来、つまり亡くなった時のことを考えるようになった。まず、相続で揉めるようなことになれば結果的に先生の名前に傷もつくし、そういう風にならないようにするには印税の受益者として財団法人を作った方がいいと考えて、遠藤実歌謡音楽振興財団*を設立したの。  でも、ただ作っただけじゃも