Vol.40 最後のブログ
中学生の時、春日八郎の「お富さん」をラジオで聴いて覚えて、歌詞を書き写した。「お富さん」の歌詞に興味があったんだよね。あの歌の歌い出しの意味がわからなかったの。「粋なくろべい、みこしの松」ってあって、こりゃ何のこと言ってんだ、と。
「粋なくろべい」は自力で調べて「粋な黒塀」だってことはわかった。黒塀ってのは、昔は板張りで塀を立てていて、それが腐らないように黒く塗るんだよ。俺が東京に初めて出てきた時に一軒だけ黒塀で囲われたでっかい家が赤坂にあったんで、「ここは何ですか?」って聞いたら、「ここはあんたじゃ入れない高級な料理屋だ」って。要するに料亭だよ。
で、次は「みこしの松」だ。みこしって言ってもお祭りの神輿じゃないんだよ。神輿の松じゃ訳わかんないからね。
後年、俺が作詞家になってから長野県の教育関係の冊子にエッセイを書いてほしいという依頼をもらった時に、このエピソードを書いた。
山崎尚武先生はというと、その後もずっと長野県で教師を続けて、最後は長野県の教育委員会の中で重要なポストに就ていて、先生が亡くなられた時に親族の方から前述のエッセイのコピーを会葬御礼として配ってもいいですか?と言われたんで、どうぞ使ってください、と答えた。
歌謡曲に興味を持たせてくれた方に少しは恩返しができたかな、と思ってる。
三橋美智也の名前も出たから余談として話すると、三橋美智也のデビューは衝撃的だった。民謡をバックグラウンドに持った歌い回しに高音でキレイな歌声でしょ。これを聴いて皆んな参っちゃった。「あぁこんなすごい歌手が出てきたんなら、俺では到底プロの歌手になるのは無理だ」って歌手を諦めてレコード会社のディレクターになった人を俺は何人も知ってる。そのくらい凄かった。
ない!(笑) ゴルフと競馬頑張るわ(笑)。
まぁ作詞家として一言話すなら、音楽業界に50年以上いて、レコードから始まりカセットテープ、CDにMDときて、今はデータだサブスクだ、だからね。それにAIなんて創作の根本に関わるテクノロジーまで出てきて…って、これはまた今度話すわ。
とにかく昭和16年生まれの俺にしてみれば、「昭和も”めっちゃ”遠くになりにけり」だよ(笑)。
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