Vol.12 中国と「北国の春」
"北国の春"は中国語バージョンになって海外で歌われているんだけど、俺が把握してるだけで5、6パターンある。
最初に言っておくと、向こうでは色々な内容の歌詞で歌われているんだけど、それについて俺は全く関与していない。
やっぱり一番ポピュラーなのは北京を中心に流行った"北国の春"の直訳「北国之春」なんだろうけど、最初に流行り始めたのはもうちょっと前、テレサ・テンさんが歌った「我和你(訳:私とあなた)」。中国大陸の南の方で流行り始めてた。当時、鄧小平が中国のトップだったんだけど、鄧小平は"大きい鄧"、テレサ・テンは"小さい鄧"ということで、大鄧と小鄧なんて言われてた。(注:テレサ・テンの中華圏での名前は鄧麗君) 鄧小平が率いる軍隊でテレサ・テンが歌うラブソング「我和你」が流行ったことで軍隊の士気にも影響が出たことから、「小鄧が大鄧を食った!」なんて皮肉的な記事が新聞に出るくらい人気があった。
一方で、さっき言った北京から北の方は直訳バージョン、要するに故郷を想う歌詞で人気を得た。というのも東京に働きに上京した人たちが"北国の春"を支持したように、やっぱり中国でも北京に働きに出て来ている吉林省とか、中国北部から来ている人たちにとっては望郷の歌だったんだと思う。そんな人たちに支持された。だからあの大きい大陸で"北国の春"は、2分するような流行り方をしたわけ。
直訳バージョンは蒋大為(ジャン・ダーウェイ)さんが歌った。この人は中国の民謡歌手というか古典をやっているような歌い手らしい。俺も一回会ったことはあるんだけど。
それから上の2つとは規模が違うけど、第3としては台湾で歌われた「榕樹下(ガジュマルの下で)」。これは余天(ユー・ティエン)さんというコメディアン、日本で言えばドリフのいかりや長介さんのような人。この人が歌って台湾中でヒットした。
その他に香港周辺では「故郷的雨」とか「青空万里」とかそういうタイトルになって歌われた。香港はテレサ・テンさんのテリトリーだから「我和你」ももちろん人気だったけどね。いずれにしても俺の知る限りで5つか6つくらいのバージョンになった、中華圏だけでね。
1983年、「中国で北国の春が流行ってるらしいぞ」って噂を聞いて、俺と遠藤先生が実地検証で中国に行った年が1983年だから、その前から売れ始めてたんじゃないかな。1977年に発売されて日本でピークになったのが'79年。そっから2、3年後、'81年とかくらいから流行り出したんだと思うよ。
当時は文革の影響もあって、一般大衆が歌ったり、聞いたりする流行歌というものがなかったんじゃないかと思う。そこに新鮮なメロディーや歌詞が入ってきた。だから(流行した理由の一つに)タイミングもあったんじゃないかと思う。ただそうかといって当時の中国の国情からすると、あんまり生々しい恋愛の歌とか歌詞の内容次第では受け入れられなかったんじゃないかな。だから、流行ったのが"北国の春"とか芹洋子さんの"四季の歌*"とかっていう歌なんだと思う。
どんくらい流行ったか?ん〜、俺がJASRACの会長としてCIAM*のシンポジウムで中国に行った時に中国政府の閣僚が、俺が"北国の春"の作詞家だと知ったら「"北国の春"は我が国の第二の国歌です!」って言ったんだから。だからそのくらい浸透したってことだと思うよ。
そうなると気になるのは印税。レコードがあったかは別にして少なくとも中国13億人がカラオケで歌いまくったんだから、これは相当な額になるのでは?と思うのが普通。
1981年頃から流行り始めて現在2022年。約40年間でぶっちゃけ印税はいくら入った?
要は当時の中国は著作権制度が整備されてなかった。今はかなり良くなってきて日本に印税を送金してくるようになったから、今の若者の歌とかにはある程度入ってくるようになった。俺の印税は別として、これは良い傾向だよね。
とはいえ、まだ日本ほど整備されてない。例えば、日本はカラオケの徴収をJASRACが直接やってるけど、中国の著作権協会はダイレクトに徴収できないんだよ、カラオケはね。録音権とかはOKなんだけど。だから結局、小さい組織なんで大都市にしかないんだけどCAVCA(カヴカ)という組織が印税を徴収して、そこから自分とこの運営手数料を半分とって、残りの半分をレコード会社と著作者で分けてっていうやり方だから、中抜き中抜きで著作者の手元に入ってくる時にはほどんど残らない。そういう日本のシステムとの違いっていうのも大きいね。
それから人数もごく少人数で運営してるから、日本並みの徴収率になるにはまだまだ時間がかかると思う。
遠藤(実)先生が生きてる頃から(遠藤実歌謡音楽振興)財団*ではアジア歌謡祭というイベントをやっていた。なんでアジア歌謡祭を始めたかっていうと、日本は戦後から欧米の楽曲が多く好まれて、どんどん消費されるんだけど、日本の歌が海外に出て印税を稼いでくるっていうのがほとんどなかった。これじゃダメだと。少なくともアジアと欧米が、歌でも50/50の貿易状態にならなければ、アジアの音楽産業ってのは発展しないだろうという持論があったの。
だから、アジア歌謡祭をやってアジアから世界に発信できるような歌作りをやっていこうと。だけどその為には、歌を作ってメシが食える、専業作家の絶対数が増えてかないと名曲はなかなか出てこない。その為には著作権について考えていかなければならない、と思ったわけ。
そんな考えの延長線上で財団の事業として2011年に始めたのが、著作権に対する問題など意見交換をする日中著作権シンポジウム*だったの。
民間レベルではあるけど、著作権意識の底上げをしていきたいと思って始めたこのシンポジウムも今年の2月22日にwebでやる会議(ディスカッション)で9回目。徐々にではあるけど、中国の著作権徴収額も上がってきてるし、やっぱりそれで日本の作家も少しでも潤ってくれば良いことだし、逆に中国の作家も(印税が入ってきて)「あぁ、歌ってのは一つの産業になるんだ」となれば、どんどん良い作家も育ってくるし。結局、生活できなければ歌を作るという職業は成り立たないし、その為には著作権意識は必要だから。
中国はもっと国が著作権というものに目を向けて欲しい。今は著作権印税の歳入と歳出は圧倒的に歳出の方が大きいかもしれないけど、長い目でみれば、やがて自国に入ってくる額を大きくすることは可能だし、その良い例が韓国で、あの国はエンターテイメントにすごく力を入れてるから、今なんて車一台売るよりもアーティストを育てた方が国に入ってくるお金は大きいってくらいなんだから。だから「文化は産業になるんだ」と政府の偉い人たちが認識すればもっと良くなるんだろうけどね。ただ、まぁそうなるまでにはまだ時間がかかりそうだね。